歴史クイズの多くが尋ねるのは1つだけ、「いつ?」です。Cuneiformは、すべてのタイルについて2つのことを同時に尋ねます。それがいつ現れたのか、そして誰が作ったのか。両方が正しいときにしか、うなずいてくれません。「両方」というこの小さな言葉こそが、ゲームのすべてなのです。
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タイルを1枚手に取ってみましょう。たとえば磁気コンパス(羅針盤)です。それを置くには、互いに独立した2つの問いに答えなければなりません。1つ目は年代に関する問い、それはいつ現れたのか。2つ目は由来に関する問い、それは誰が作ったのか。ゲームのデータでは、どの発明にもまさにこの2つの事実、つまりおおよその年と、起源となる1つの文化が刻まれており、それ以外のことは何も問われません。1
盤面は、この2つの問いを2つの方向に変えます。行は時代の区分で、列は文明です。タイルは「日付の上に」置かれるのではなく、マス、つまりその時代とその文化が交わるただ1つの升目に置かれます。配置は、2つの判断を同時に主張する1回の行為であり、ゲーム自身のルールは、求める基準についてそっけないほど明快です。配置が正しいのは、時代と文化の両方が一致するときだけなのです。1
従来の歴史ゲームは一次元です。1本の線を渡され、出来事を順番どおりにその上へ差し込むよう求められます。問われる量は早いか遅いかだけです。Cuneiformは、その平板さを拒みます。2本目の軸を加えることで年表を平面に変え、その平面はデカルト積(直積)、つまりすべての時代とすべての文化の組み合わせになります。6行と7列、タイルが落ち着く可能性のある最大42通りの異なる場所からなる格子です。
この直積こそが、ゲームを記憶の再生というより三角測量に近いものに感じさせています。シャッフルされた日付の束を並べ替えるのは、指が勝手にこなせる雑用です。けれども、絹織物が紀元前3千年紀のものであり、かつ中国のものでもあると判断し、ピラミッドも同じ3千年紀のものだが、大陸ひとつ分も西のエジプトに属すると判断するには、2つの座標を頭に置き、それらが交わる1点を定めなければなりません。
年表が尋ねるのは、どちらが先かだけです。グリッドは、誰が、いつ、と尋ね、得点を与える前に、その答えが一致することを求めるのです。
2つの事実は互いに独立しているので、それについてのあなたの知識も、たいていは独立しています。車輪が古いことは確信していても、どの川の流域で最初に回されたのかはあやふやかもしれません。チョコレートがアメリカ大陸のものだとは知っていても、それがローマより古いとは思いもよらないかもしれません。このゲームは、そうした半分の真実を捨てるのではなく、記録するように作られています。採点では、時代が正しければ1点、それとは別に文化が正しければ1点が与えられ、両方がそろったときに初めてボーナスの1点が加わります。1
ですから、1枚のタイルの得点は0点、1点、3点のいずれかで、2点になることはありません。2つ目の軸を正しく当てればボーナスも一緒についてくるからです。3点目は、2つの事実を一致させたことへの褒美として取っておかれているのです。「時代は正しいが、文化は違う」というのは、部分的な知識として実際に認められた状態であり、ラウンドのまとめにも数えられます。タイルが正解と判定されるのは両方がそろったときだけですが、正しい時代と正しい文化はそれぞれ別々に集計されるのです。ここでは半分の真実にも価値があり、だからこそ完全な真実は自力で勝ち取ったものに感じられるのです。
「両方」がゲームに歯ごたえを与えるのには理由があります。たとえば、ある発明の時代に70%、作り手に70%の自信があり、その2つの推測が互いに独立しているとすれば、マスを言い当てる確率は70%ではなく、その積、つまりおよそ半分です。連言(「AかつB」)は不確かさを二重に罰します。自信のない軸がそれぞれもう一方に掛け合わされ、「だいたい知っている」タイルでも間違った升目に落ちることがあるのです。わずか数枚のタイルしかないパズルでも手が止まることがあるのは、このためです。難しさは知られていない事実から来るのではありません。発明のほとんどは有名なものです。難しさは、ラウンドが完璧と認められる前に、すべてのタイルについて2つのありふれた事実が同時に正しくなければならない、という要求から来るのです。グリッドとは、「なんとなく知っている」を「確信していなければならない」に変える装置なのです。
このゲームの名前の由来そのものが、配置の問題です。楔形文字(Cuneiform)は、メソポタミアと紀元前4000〜3000年の時代が交わるマスに置かれます。データ上の年は紀元前3200年ごろ、つまり紀元前4千年紀の終わりで、歴史家たちはこれとは独立に、その成立をおよそ紀元前3400〜3100年としています。2 この文字がシュメールの粘土に書かれたことを知り、それがそれほど古いことを知っていれば、2つの判断は1つの升目に収束します。どちらかを外せば、ゲームの名前の由来となったまさにそのものを、別の世界に置いてしまうことになるのです。
この二重の制約が最終的に写し取っているのは、歴史の知識が実際にどう感じられるかということです。私たちが発明を、むき出しの日付や、むき出しの旗として記憶していることはめったにありません。位置づけられたもの、つまりある時点のある人々に属し、場所と世紀の両方に同時に埋め込まれた技術として記憶しているのです。時間と文化が一致しなければならないというグリッドのこだわりは、杓子定規ではありません。それはゲームが、あなたはそれぞれの発明を雑学カードとしてではなく、歴史の中の座標として理解しているか、と問いかけているのです。1
それこそが、この仕組みの背後にあるひそかな野心です。盤面を正しく埋めたとき、あなたは単に事実の山を覚えたのではありません。それぞれの業績が、その「いつ」と「誰が」の交わるただ1つの地点にピン留めされた、古代世界の小さな地図を組み立てたのです。「両方がそろわなければならない」というルールは、実のところ、何かを知るとはそもそもこういうことだ、という主張なのです。